Chapter 01
ビットリンクとリザーブリンク
会社のはじまりは、何をやるかではなく誰とやるか
創業の地。山本さんの家を建ててくれた大工さんの資材置き場を格安で借りていた
山本さんと浅井さん。リザーブリンク卒業を報告をしに、浅井さんの会社を訪問した際に。創業20年後の51歳のお二人です。
フリーペーパーを皮切りに、主力はシステム開発へ
創業当時のビットリンクの社内。ブラウン管のディスプレイに時代を感じますね。インターネットがまだ従量課金されていた時代です。
会社を立ち上げた当時はまだインターネットが普及し始めた黎明期で、自社でホームページを持っている会社はほとんどなかったこともあり、山本さんたちはホームページの制作を主力事業にしようと考えました。そのために、最初は地域のWEBサイトを紹介するポータルサイトや、その紙版であるフリーペーパーの制作を行ったそうです。それらを起点に、ホームページを作りませんか?と飛び込み営業をかける毎日だったとのこと。自分たちで考えた商品が自分たちの力だけで売れるという快感を味わうのもこの頃のことです。
ですが、すぐに競合が出てきて差別化要因が無くなり、事業の将来性を考慮しホームページの制作からWEBシステム開発に主力事業を移行しようと考えました。地元の商工会議所から声がかかるのは2001年のことでした。大学生・高校生の就職活動のための企業情報誌を今年からホームページ化したいとの依頼でした。
しかし山本さんは、ホームページでは毎年変わる求人情報や企業ニュースなどの更新系情報を都度業者に依頼しなければならない。裏側にデータベースを置いてそこに情報を格納し、アクセスするたびにページを動的に生成するWEBシステムをつくれば毎回業者に頼む必要はない。そんなシステムを作ってみませんか?と逆提案し、受注しました。この実績が起点となりWEBシステム開発の仕事が増えていきます。
「当時はPerlという言語が主流でそれを勉強したんだけど、ホリエモンは当時エンジニアとしてPerl の技術解説本を書いててね、よく読んでたよ。最初の会社ではC言語だったけど、それを我武者羅にやり習得できてたおかげで、その後7年ブランクがあったけど短い時間で蘇ってきたことを覚えてる。エンジニアの道を諦めたときは戻ってくる可能性なんて全く考えてなかったけど、吸収力が高い時期に真剣にした仕事は体に残ってるもんだよね(山本談)」
創業1年後にはビットリンクは、ホームページ制作からWEBシステム開発の会社に変化していくことになります。
個が協調するビットリンク
ビットリンクのロゴ。ビット(個人)が集まりハートを形成している
「イメージはこんな感じ。心持ちが良く有能な個人(ビット)が点在しており、その真ん中にある会社がそれらの個人を相互に繋いで(リンクして)いる。上下関係やチームの枠に縛られるピラミッド型組織でなくて、個人を尊重し個人に裁量を与えていつでもどこでもやりたいだけ仕事ができる。そんな人間だけが集まった会社だったら仕事が楽しくならないはずはないよね。(山本談)」
ビットリンクという社名の由来をお聞きしたところ、こんな答えが返ってきました。
遠慮なし!言うべきことは言うべきひとへ
最初の移転。浜松市三島町の雑居ビル
地元企業のWEBサイト制作やWEBシステム開発の仕事をコツコツと続けていくうちに、気づけば「WEBシステム開発」と検索すればgoogleやyahooで検索1位に出るほどまでに会社が成長していました。2005年には2度目の移転をします。当時8人程度の規模でしたが、今度はJR浜松駅から徒歩圏内の市内でも有数のオフィスビルです。市内では最上位の浜松駅のシンボルタワーであるアクトタワーへの移転も考えられたようですが、すべての社員が車通勤であることから、駐車場をオフィスの近くにおけるよう、駅から少し離れた場所にされたそうです。当社の浜松オフィスは2021年の今現在もこの場所にあります。
信頼することで成り立つ性善説経営
2度目の移転。現在の浜松支社
山本さんがカナダの英会話学校で、「親孝行の日」という自社の福利厚生(規定範囲内で、両親との飲食代や旅行の費用を負担する制度)についてプレゼンしたところ、「精算方法は領収書の提示だけ?デートで使った領収書でもチェックしないの?」などと意見が出たそうです。これに対して山本さんが「Just Belive!」と答えたところ皆さん驚かれたようです。特に欧米の管理主義的な会社経営では性悪説が当然ですので、尚更インパクトがあったようですね。
誠意とホンネ
2005年当時のビットリンクの会社パンフレット。「ホンネ」を大切にしている理念の通り、人からも製品からも「ホンネ」が透けて見えるという粋な演出になっています。
「信用はお金に換算することもできるでしょ。信用があれば要らないはずなのに、無いからそこにコストがかかるわけで。最初から信用で成り立ってる集団ならそのコストは別のところに遣えるわけだからね。人はまず先にこちらが信用してあげれば裏切ることはしないはず。少なくとも自分が選んで集めたメンバーと自分の会社の中ではそうだと信じたい。社会は性悪説だけど家族の中では性善説でしょ? 少なくとも社内でだけは性善説が成り立つ会社にしたかった。監視と統制でなく、信任と委譲。その方が思いっきり仕事に集中できるから成果も出るし、最終的には会社全体の利益に結び付くはずだからね。(山本談)」
国内初!予約管理に特化したシステムの誕生
当時のChoiceRESERVEの製品紹介画面
設立から数年間の受託開発時代があってのことだよ。地元の美容院の予約システムやホテルチェーンの予約管理、バス管理釣り場の施設予約など、ネット予約のシステム開発を受託でやらせていただく機会があったんだけど、予約する対象やフローが全然違うから毎回ゼロ開発するしかなかったんだよね。ある時ふと、業種業態によらない共通部分は標準化して、違う部分をいくつかのパターンに分けてみたらパッケージ化できるのでは?と気づいた。受託でいろんな案件を経験させてもらってたからこその気づきだったよ(山本談)」
国内では業種横断型の予約管理パッケージがほぼゼロだったことも製品化のきっかけだったそうです。そして現在、予約管理システムChoiceRESERVEが会社の主力製品となっています。
「とはいえ、そのタイミングで予約管理システムを構想してた人間は世の中に何人かはいたはずだよね。思いつくところまではできても動く人間はほんの僅か。思うだけじゃなくて言うだけじゃなくて、実行に移すかどうかの違いは大きい。やらなかった後悔だけはしたくないからね。(山本談)」
その場で決める!その場で実行!
予約屋、リザーブリンクの誕生
リザーブリンク誕生当時、本社が入っていたビル「ラティス青山」。古いビルをオシャレにフルリノベーションした建築業界でも話題の建物でした。
「当時の会社にはこのビルに入る資金力はあるとは言えなかったんだよね。でも三菱地所の担当さんがこんな小さな会社にも誠意をもって対応してくれたことでその気になったね。そして住所を見た瞬間に決めたよ。番地が1-1-1だったんだ。自分の誕生日が11月1日なんだよね。イイ流れを感じたよ(山本談)」
現在の青山本社オフィス。
Chapter 01
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Chapter 06
Epilogue